絵の話
少し前に「わたしの書くセルジュくんがめちゃくちゃキラキラしてんのはフェイトにはそう見えてるから」的な話をしたんですけど、
その話をした当時は、わたしの絵柄とかコマの間のとり方に若干少女漫画みがあるところからの自虐的な意味が少しあったんですが、これわりと「フェイトにはそう見えてる」が事実そうなんじゃないかな〜と最近思うようになりました。
というのも、最近YouTubeのショートとかTikTokでけっこうイラストの添削動画見てて、絵の中のキャラの視線とかを誰に向けるかの話を聞いた時に、前まではあんまり考えてなかったんですけど
- 「この絵のキャラが見てる先にもキャラがいる」
- 「この絵の中のキャラを見てるキャラもいる」
的なことを考え出したら、セルジュくんはフェイトに向けて(キラキラではないけれど)セルジュくんなりの好きを向けていて、フェイトからしたらそれを超至近距離で受けており、好意ってすごく…嬉しいじゃないですか、少なく度鬱陶しいとかはない、なんかそうだな…世界が輝いて見えるんですね、フェイトはセルジュくん大好きだから…
だからわたしが書く、フェイトに話しかけてる時のセルジュくんはね、
- まず視線の向こうにフェイトがいる
- そして向こうのフェイトがそれに嬉しみとか喜びとかプラスの感情を抱いてる
- ↑を抱いてるフェイトから見たセルジュくんが画面に書かれている
そういうことで、フェイト目線かつ互いから出ている好き好きオーラでキラキラしてるん…じゃないかな。
ということで…話まとまった?(?)世界はキラキラしてるし地球は黄色いです。すみませんキンプリの話です。わたしは本気で恋バナを書く時には決まってドラマチックLOVEを聞きます
なんかねほんと、そういうわけで、今まであんまり、視線を考えて絵を書いてなくて。
だから絵の中のキャラがみんなめちゃくちゃ変な方向見てる時もあるんだけど、さいきんそれをちょっと考えるようにしたけど、そうすると絵の中のキャラVS俺というか、夢絵に近いのかな?わりとそういう絵を描いてる気持ちになることがあります。
先月ワンドロで書いたノーナちゃんとかね、あれは視線の先にアルドくんがいるのを意識しました。意識しすぎて指を差し出してる方のケープ書くの忘れました。
ノーナちゃんだったらアルドくんにこういう顔するかな…みたいな、でも書いてる時は「ノナたやにこの顔を向けられると嬉しい」=この顔が向いてる先は俺でもある…の気持ちにもなるので複雑ですね。
これもわたしの絵を描くスタイルに関係するかもしれない…「この顔されると嫌だなあ」の時は「この顔されると嫌な顔を書いてる」しなんならわたしもその顔になってる。
話戻して、セルジュくんというか Dセルセルの話、ふだんあんましてないけどぶっちゃけ毎日考えてるけどでも話すと話して満足して書かなそうだから形になるの待っててください。いや待ってる人がいるか分からんけど…
やっぱりわたしはフェイトがセルジュくんにデカデカ感情向けてるのがすきなんだけど、でもセルジュくんからしたらそのデカデカ感情はやっぱりデカすぎて、なんかすれちがっちゃって、そのすれ違いで起こるあれやこれや……
でもセルジュくん側からのデカデカ感情もあり、それはフェイトには伝わってない、というお互いのすれ違いは…あります!それでたまに喧嘩になるんですよ、なんで同じ身体なのに伝わんないんだ、っていう、でも中身違うからさ…片や1万年を感情無き機械的に(ほんとうに機械として)生きてるから…
何が言いたいかと言うとお互いに大好きだけど大好きのベクトルがちがうのでなんかズレてるけど、セルジュくんの楽天家なところでまあ、なあなあに、いっつもなんとかなる。
いまはコンサートの企画でドッタンバッタン大騒ぎしてるけど次はDセルセルで本を出したいとわりと思っております。クロノクロス25周年だしね〜25周年にふさわしい話ではありませんが…(ほんとにな)

明らかになんかあったけどあくまでも白々しいのすき かわいい
部屋の窓からレナちゃんと大声出して会話する話を書いたけど、じゃああの全方向開放的にスカスカの家でセックスしている時の声は大丈夫なんですかという永遠の疑問(大丈夫なんじゃないですかね)(他人事すぎる)(テルミナ行け)(テルミナはラブホじゃないんですが…)